もし、自分の親の社会の未来を見据える力が強く本能を打ち負かしたのなら、
自分は存在しなかったかもしれない。


でも、存在がないということは幸せなことだと思う。
現実と理想の差に苦悩もせず、
しつこく湧き出る社会的欲求を、
何らかの理由で抑圧し苦悩することもなく、
一生の長い時を寂しさにとらわれるということもなく、
存在のないために自らの安全を脅かす物事も気にせずに、
心にできてしまった隙間を埋める必要性も全くないからだ。


こころ平和だ。


そして、身体・精神・意識の存続・継続すなわち生きることとはなんとしんどいことなのだろう。